八柳商店

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2022/12/01 16:07

子どもたちは元気だ。
溢れるパワー故に意図せず物を壊してしまう(わざとやったなら話は別)、そんな時に私が言う言葉は
「仕方ない。形あるものはいつか壊れる。」
大切な物を 大事だからしまっておきたい、という気持ちは実はとても良く分かる。
使ってしまえば壊れてしまうかもしれない、それなら大切に箱に入れておこう。と考えるのも決して間違いではない。
私自身、お気に入りのお皿やマグカップ、お茶碗を幾度も見送ってきた。そのたびに(なんて自分は駄目な奴なんだろう)と落ち込むところまでがセットだ。
先の言葉の次には、こう続ける。
「形あるものはいつか壊れる。だからこそ大事に扱わなきゃいけないよ。」


私がこう思うのは幼少期のある経験による。
小学生くらいの時、車の中にある急須を取ってきてくれないかと祖父に頼まれた。
砂利道を元気に走っていき、両手で大事に急須を抱えたが
帰りに盛大に転んでしまい祖父の急須は見事に粉々になった。
急須は新品だったが、祖父は私を一切責めることはなく、それが私の罪悪感をより大きなものにしたのだった。
祖父は私がベソをかきながらごめんなさい、と差し出した急須を手に持って「なんてことはない。大丈夫だ。」とだけ言った。
わざと壊したのではない、と分かっていたのだ。

形あるものはいつか壊れる。

道具も家も、地球までも壊さずにいることがなんと難儀なことか。
だから壊れずに残っていることが奇跡だと思う。
誰かが 壊れないよう、工夫して守ってきたのだ。
暇つぶしに書いた似顔絵だって、千年残れば貴重なものになるだろう。
問題は千年守ってくれる人達がいるかどうかだけれど。
樺細工は伝統的工芸品だが、つまりは生活の道具だ。
それを使う人の時間と共にある。
せわしない日々の中で、茶筒からお茶を出して飲む時間
晩御飯を作り腹ペコな家族の待つ食卓へお盆にのせて届ける一瞬
なんてことのない普通の変わり映えのない、そしてありがたい日だ。
そんな日常に樺細工も役割があれば嬉しい。


もったいなくて使えない、と言う人はきっと優しい人なんだろう。
まだ起こっていない不測の事態に心を砕くくらいだもの。
だから私が言えるのは、お直しができますからね、ということ。
無理に使う必要はないけれど、壊れることが心配で使えないのなら おなおし処がありますよ、と。
優しい人へ
雪降る秋田・角館より。


⁡八慶