八柳商店

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2022/08/10 15:27

古い籠を譲ってもらった。

長いこと使っていないという籠。
フォルムがかわいい。使いやすそう。



洗って干して
取手や割れた部分を山桜の皮で補修した。
今まで何点か自己流で籠の補修をしたけれど、今のところ不具合はない。




補修に使った皮は樺細工の製造に使えなかった端材。少しだけ寄せておき、自分で削った。これからよろしくね、という気持ち。
ところでウチのご先祖様が使っていた古い物はたいてい どこか壊れて補修してある物が多い。
割れた花瓶さえ、箱に入れてとってあるのを見た時
さすがにコレは使えないだろうに

捨てられないほど思い入れのある品だったのだろうか などと思った。
昔は「壊れたから捨てる」のではなく
自分で「直して使う」のだったということがよく分かる。

どこかしら昔の人が補修した後があるそれらが とても好きだ。

(金具が外れていた引き出し。いい面構え)


(衣桁。途中でポッキリ折れているのを補修してある)

生まれてからこの世にサヨナラをするまで、
自分は一体どれくらいのゴミを出すのかと考えることがある。そして気が滅入る。
SDGsがどう、とかいう話ではなく
ただ単に、ゴミを出し続ける自分
に嫌気がさすのだ。
せめて
使えるものは大事に使いたい。
ただそれだけ。


(お気に入りの帳箱 
帳場に置いて帳簿や筆記用具などを入れておく箱。
樺細工はSDGsだということをもっとアピールした方がいい、と言ってもらうことがある。
自生している山桜の皮を、木に与えるダメージを最小限にしてはぐ。
はいだ部分は再生される。
自然からの恵みをいただき成り立つ。
職人たちは皮を剥ぎすぎると木が枯れることを分かっていて、SDGsが叫ばれるよりもずっと前から 持続可能な社会というものの中にいたのだ。
先人の英知に学び、次に伝えていくことこそ
自分たちの使命だと思う。
誇るべきは昔の人たちの経験の蓄積であり、
今それを受け継いでいる自分たちは控えめでいい。
貴重な自然の恵みを、余すところなくつかいました。という話。